2020年02月29日
言志耋録289条 養生訓
人情、安を好んで危を悪まざるは莫し。宜しく素分を守るべし。寿を好んで夭を悪まざるは莫し。宜しく食色を慎むべし。人皆知って而も知らず。
【筆者意訳】人情的には、人は安楽を好んで災難を嫌うものだ。そのためには自分の本分を守るのが良い。また人は長寿を望み若死にを嫌がるものだ。そのためには食い気と色気を慎むのが良い。このことは誰でも知っているわけであるが、実行しない所を見ると、心底知ってはいないのであろう。
【ひとこと】これは耳に痛い言葉ですね。身体に良くないと知りながら、甘いものを食べすぎたり、お酒が止められない、煙草が止められない・・・等々。私たちの周りには、身体に良くないけれども、身体が瞬間的に喜ぶ誘惑が沢山あります。誘惑に負けた影響が早期に現れ且つ悲惨なもの(例えば麻薬)については、多くの人が踏みとどまることができますが、影響が長期にわたって徐々に進行していくものについては鈍感になり、身体の快楽の方が勝ってしまうものなのでしょう。
一斎は、人生を心身共に安らかに、且つ長生きをしたいと思ったら、分相応に暮らして無理なことはするな、暴飲暴食、女遊び(女性の場合は男遊びですかね)は慎め、と指摘しています。
これを語った時の一斎は、最晩年ですから、無理なく実行出来たでしょうが、より若い年代の人にとっては、中々実行が難しいことかもしれません。まあ程々にということでしょうかね。
【筆者意訳】人情的には、人は安楽を好んで災難を嫌うものだ。そのためには自分の本分を守るのが良い。また人は長寿を望み若死にを嫌がるものだ。そのためには食い気と色気を慎むのが良い。このことは誰でも知っているわけであるが、実行しない所を見ると、心底知ってはいないのであろう。
【ひとこと】これは耳に痛い言葉ですね。身体に良くないと知りながら、甘いものを食べすぎたり、お酒が止められない、煙草が止められない・・・等々。私たちの周りには、身体に良くないけれども、身体が瞬間的に喜ぶ誘惑が沢山あります。誘惑に負けた影響が早期に現れ且つ悲惨なもの(例えば麻薬)については、多くの人が踏みとどまることができますが、影響が長期にわたって徐々に進行していくものについては鈍感になり、身体の快楽の方が勝ってしまうものなのでしょう。
一斎は、人生を心身共に安らかに、且つ長生きをしたいと思ったら、分相応に暮らして無理なことはするな、暴飲暴食、女遊び(女性の場合は男遊びですかね)は慎め、と指摘しています。
これを語った時の一斎は、最晩年ですから、無理なく実行出来たでしょうが、より若い年代の人にとっては、中々実行が難しいことかもしれません。まあ程々にということでしょうかね。
2020年02月28日
言志耋録286条 孝行は人格形成の本
人道は敬に在り。敬はもと修身の孝たり。我が身は親の遺たるを以てなり。一息尚お存せば、自ら敬することを忘る可けんや。
【筆者意訳】人の履み行うべき道は「敬」にある。「敬」はもとより一生涯の孝行である。自分の身体は親が遺してくれたものであるからである。だからたとえ一息でもある間は、敬することを忘れてはならない。
【ひとこと】「孝」という字は、「老」の字の「ヒ」に代えて「子」を入れたもので、上に老人がいて下に子がいる形、即ち子が年老いた親を支えることを表した文字です。そこから親孝行の意味を持つようになりました。それは更に、親だけでなく広く老齢の人を尊敬するという意味になりました。
中国の古典・『孝経』に、「身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなり。身を立て道を行ない後世に揚げ、以て父母を顕すは孝の終わりなり」という言葉があります。”親からもらった自分の身体を傷つけないことが親孝行の始めで、人間として正しい生き方をして立派な人間になることが親孝行の締めくくりだ。”という意味ですが、人格形成のすべての本が孝行にあることを語っているものです。
即ち、自分の親を敬い大切にすることを出発点として、「敬」即ち人間として正しい生き方を通じて(その中には自分の言動を慎み、他人を尊敬することが含まれます)、人格を形成(=徳を高める)していくということですね。
最近は、実の親を死傷させるという悲しい事件もありますが、それは特異な事例だと思います。私の周りでは、”自分の親に親孝行したい”と話す若者の声も沢山耳にします。古来より先人が大切にしてきた価値観が、現代でも大切に受け継がれていることは意義深いものだと思います。
【筆者意訳】人の履み行うべき道は「敬」にある。「敬」はもとより一生涯の孝行である。自分の身体は親が遺してくれたものであるからである。だからたとえ一息でもある間は、敬することを忘れてはならない。
【ひとこと】「孝」という字は、「老」の字の「ヒ」に代えて「子」を入れたもので、上に老人がいて下に子がいる形、即ち子が年老いた親を支えることを表した文字です。そこから親孝行の意味を持つようになりました。それは更に、親だけでなく広く老齢の人を尊敬するという意味になりました。
中国の古典・『孝経』に、「身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなり。身を立て道を行ない後世に揚げ、以て父母を顕すは孝の終わりなり」という言葉があります。”親からもらった自分の身体を傷つけないことが親孝行の始めで、人間として正しい生き方をして立派な人間になることが親孝行の締めくくりだ。”という意味ですが、人格形成のすべての本が孝行にあることを語っているものです。
即ち、自分の親を敬い大切にすることを出発点として、「敬」即ち人間として正しい生き方を通じて(その中には自分の言動を慎み、他人を尊敬することが含まれます)、人格を形成(=徳を高める)していくということですね。
最近は、実の親を死傷させるという悲しい事件もありますが、それは特異な事例だと思います。私の周りでは、”自分の親に親孝行したい”と話す若者の声も沢山耳にします。古来より先人が大切にしてきた価値観が、現代でも大切に受け継がれていることは意義深いものだと思います。
2020年02月27日
言志耋録285条 準備と備えを怠るな
天道、人事は、皆漸を以て至る。楽しみを未だ楽しからざるの日に楽しみ、患いを未だ患えざるの前に患うれば、則ち患い免る可く、楽しみ全うす可し。省せざる可けんや。
【筆者意訳】天地自然の現象や人間社会の営みはゆっくりとしたものである。従って、楽しみがまだ来ない時から楽しみ、心配事がまだ起こらない時から心配していれば、心配事を免れることが出来るし、楽しみ事は充分に楽しむことが出来る。よくよく考えておくべきことである。
【ひとこと】何事も心の準備をしておくことが大切だという教えですね。
「先憂後楽」という言葉があります。元々は北宋の政治家・范仲淹(はんちゅうえん)が、為政者の心得として語った言葉ですが、現在では、先に苦労や苦難を経験したり、心配事をなくしたりしておけば、後で楽が出来るという意味で用いられています。
本条文で一斎は、「楽しみが来ない時から楽しむ」と言っていますが、これは”前途に希望を持つ”という意味に解釈をしたほうが解りやすいかもしれません。自分が目標とする将来の姿に向けて、しっかりと準備をしておくこと、そして想定される障害や不安要素に対しては、出来る限りの対応策を尽しておくことが大切だということだと思います。
【筆者意訳】天地自然の現象や人間社会の営みはゆっくりとしたものである。従って、楽しみがまだ来ない時から楽しみ、心配事がまだ起こらない時から心配していれば、心配事を免れることが出来るし、楽しみ事は充分に楽しむことが出来る。よくよく考えておくべきことである。
【ひとこと】何事も心の準備をしておくことが大切だという教えですね。
「先憂後楽」という言葉があります。元々は北宋の政治家・范仲淹(はんちゅうえん)が、為政者の心得として語った言葉ですが、現在では、先に苦労や苦難を経験したり、心配事をなくしたりしておけば、後で楽が出来るという意味で用いられています。
本条文で一斎は、「楽しみが来ない時から楽しむ」と言っていますが、これは”前途に希望を持つ”という意味に解釈をしたほうが解りやすいかもしれません。自分が目標とする将来の姿に向けて、しっかりと準備をしておくこと、そして想定される障害や不安要素に対しては、出来る限りの対応策を尽しておくことが大切だということだと思います。
2020年02月26日
言志耋録283条 心は若くありたい
身は老少有れども、而も心には老少無し。気には老少有れども、而も理には老少無し。須らく能く老少無きの心を執りて、以て老少無きの理を体すべし。
【筆者意訳】人間の身体には年寄りと若者の差はあるが、精神的なことには差は付けられない。身体の働きには老若の違いはあるが、道理を考えたり行ったりするのには関係ない。だから、このような差に拘らずに、永遠に変わらない道理を体得しなければならない。
【ひとこと】人間は身体上の容貌や機能については老いとともに衰えていくものだが、精神上の働きや道理を窮める力は衰えるものではない。だから生きている内は、人間としての生き方を窮める努力をしなければならない、という教訓と理解します。
『言志晩録60条』のところで、「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。」という、一斎の代表的な言葉を紹介しました。一斎は、人間は一生涯学び続けなくてはいけないと考えていましたので、本条文にもその考えが反映されているものと理解します。
サミュエル・ウルマンに『青春』という有名な詩があります。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。薔薇のまなざし、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。(中略)60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、感動に魅了される心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある・・・・・」
周囲への関心を持ち、自らは夢や目標を持ち、自分を更に高めようと精進に努めるならば、人はいくつになっても若いのだと・・・そう思います。
【筆者意訳】人間の身体には年寄りと若者の差はあるが、精神的なことには差は付けられない。身体の働きには老若の違いはあるが、道理を考えたり行ったりするのには関係ない。だから、このような差に拘らずに、永遠に変わらない道理を体得しなければならない。
【ひとこと】人間は身体上の容貌や機能については老いとともに衰えていくものだが、精神上の働きや道理を窮める力は衰えるものではない。だから生きている内は、人間としての生き方を窮める努力をしなければならない、という教訓と理解します。
『言志晩録60条』のところで、「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。」という、一斎の代表的な言葉を紹介しました。一斎は、人間は一生涯学び続けなくてはいけないと考えていましたので、本条文にもその考えが反映されているものと理解します。
サミュエル・ウルマンに『青春』という有名な詩があります。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。薔薇のまなざし、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。(中略)60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、感動に魅了される心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある・・・・・」
周囲への関心を持ち、自らは夢や目標を持ち、自分を更に高めようと精進に努めるならば、人はいくつになっても若いのだと・・・そう思います。
2020年02月25日
言志耋録278条 治政の着眼点
治国の着眼の処は、好悪を達するに在り。
【筆者意訳】国を治める上で目の付け所は、人民の好む所は推奨し、嫌う所は抑制することだ。
【ひとこと】中国の古典『大学』に、「民の好む所は之を好み、民の悪む所は之を悪む、此れを之民の父母と謂う。」という一節があります。”人民が好む所を共に好み、人民の悪む所を共に悪む、このように人民と好悪を共にする君主を、民の父母というのである。”という訳になります。人民の生活や情に寄り添う、善き君主の姿を語ったものです。
とはいえ、人民に迎合する君主が善いと言っているのではありません。人民のことをよく理解し信頼を得た君主が、大所高所から人民を導くのが理想だということですね。
残念ながら、最近の政治家は、そこのところが解っていないようで、兎に角自分の支持者の喜びそうなことをしゃべってみたり、政策に掲げてみたり・・・所謂ポピュリストが跋扈しています。問題はそういう政治家が、”自分は善良な市民の代弁者だ”と信じて疑わないところにあります。間違ったことではないのですが、それだけでは国民のリーダーたる政治家としては?マークがついてしまうでしょう。
国民に対しても、また支持者に対しても、善いことは善い、悪いこと悪いと自分の理念を以てはっきり言えることが、まずは大事なのではないかと思います。
【筆者意訳】国を治める上で目の付け所は、人民の好む所は推奨し、嫌う所は抑制することだ。
【ひとこと】中国の古典『大学』に、「民の好む所は之を好み、民の悪む所は之を悪む、此れを之民の父母と謂う。」という一節があります。”人民が好む所を共に好み、人民の悪む所を共に悪む、このように人民と好悪を共にする君主を、民の父母というのである。”という訳になります。人民の生活や情に寄り添う、善き君主の姿を語ったものです。
とはいえ、人民に迎合する君主が善いと言っているのではありません。人民のことをよく理解し信頼を得た君主が、大所高所から人民を導くのが理想だということですね。
残念ながら、最近の政治家は、そこのところが解っていないようで、兎に角自分の支持者の喜びそうなことをしゃべってみたり、政策に掲げてみたり・・・所謂ポピュリストが跋扈しています。問題はそういう政治家が、”自分は善良な市民の代弁者だ”と信じて疑わないところにあります。間違ったことではないのですが、それだけでは国民のリーダーたる政治家としては?マークがついてしまうでしょう。
国民に対しても、また支持者に対しても、善いことは善い、悪いこと悪いと自分の理念を以てはっきり言えることが、まずは大事なのではないかと思います。
2020年02月24日
言志耋録277条 やる気にさせてから
教えて之れを化するは、化及び難きなり。化して之れを教うるは、教え入り易きなり。
【筆者意訳】先ず教えて、それから感化しようとしても難しい。先に感化して、それから教えるのは易しい。
【ひとこと】一斎の教育者としての体験に裏打ちされた言葉だと推察します。より平易な意訳をすれば、”教えてから、やる気を出させるのは難しい。やる気を出させてから教えるのは易しい。”ということですね。
イギリスの諺に、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」というのがあります。水を欲していない馬を、無理やり水辺に引っ張っていっても、馬は水を飲まないということです。逆に馬が水を欲すれば、放っておいても水を飲みに行くのです。
人間もこれと同じで、いくら親が”勉強しなさい”と言っても、やる気が起きなければ子供は勉強しない、または勉強する振りはしても頭には入らないものです。
ではどうすればいいのか?勉強したいという気持ちを、子供自身が持つように導くことです。
月刊誌『致知』の今月号に、奇跡の保育園と呼ばれている「小俣幼児生活団」の話が記載されていました。0歳から5歳までの幼児を預かり、子供の自発性を引き出す育児を行っているそうです。その内容は、例えば先生が子供に指示や命令をするのではなく、”○○してほしい”と、お願いする言葉を使う、先生が先に決めるのではなく子供に選択させるなどの工夫をして、子供の気付きや意志を引き出す育児をしているそうです。そこで大切なことは、きっかけを与えて待つことなのだといいます。
私はここに大きなヒントがあるように思います。幼児でも自分で気付き、”やりたい”という意志を持つのですから、より成長した人間は尚更でしょう。大人はそのきっかけを探り与えることが大事、そして待つことが大事なのです。それを待てないから”○○しなさい”という言葉を発するようになり、反発を買い、結果思いとは逆方向に進んでしまうのです。我慢比べも時には必要なのですね。
【筆者意訳】先ず教えて、それから感化しようとしても難しい。先に感化して、それから教えるのは易しい。
【ひとこと】一斎の教育者としての体験に裏打ちされた言葉だと推察します。より平易な意訳をすれば、”教えてから、やる気を出させるのは難しい。やる気を出させてから教えるのは易しい。”ということですね。
イギリスの諺に、「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」というのがあります。水を欲していない馬を、無理やり水辺に引っ張っていっても、馬は水を飲まないということです。逆に馬が水を欲すれば、放っておいても水を飲みに行くのです。
人間もこれと同じで、いくら親が”勉強しなさい”と言っても、やる気が起きなければ子供は勉強しない、または勉強する振りはしても頭には入らないものです。
ではどうすればいいのか?勉強したいという気持ちを、子供自身が持つように導くことです。
月刊誌『致知』の今月号に、奇跡の保育園と呼ばれている「小俣幼児生活団」の話が記載されていました。0歳から5歳までの幼児を預かり、子供の自発性を引き出す育児を行っているそうです。その内容は、例えば先生が子供に指示や命令をするのではなく、”○○してほしい”と、お願いする言葉を使う、先生が先に決めるのではなく子供に選択させるなどの工夫をして、子供の気付きや意志を引き出す育児をしているそうです。そこで大切なことは、きっかけを与えて待つことなのだといいます。
私はここに大きなヒントがあるように思います。幼児でも自分で気付き、”やりたい”という意志を持つのですから、より成長した人間は尚更でしょう。大人はそのきっかけを探り与えることが大事、そして待つことが大事なのです。それを待てないから”○○しなさい”という言葉を発するようになり、反発を買い、結果思いとは逆方向に進んでしまうのです。我慢比べも時には必要なのですね。
2020年02月23日
言志耋録275条 リーダーを選ぶ基準
親民の職、尤も宜しく恒有る者を択(えら)ぶべし。若し才有って徳無くんば、必ず醇俗(じゅんぞく)を敗らん。後に善者有りと雖も、而も之を反すこと能わじ。
【筆者意訳】人民を善く治める職には、人道を守って常に変わらぬ心を持っている人を選ばなければならない。もしも才能があっても人徳が備わっていなければ、人情に厚い善き風俗を壊すだろう。そうなっては後任に善い人物が就いても、元に戻すことは難しい。
【ひとこと】「親民」とは、人民に親しむということ、ここでは人民を善く治めると訳しました。「醇俗(じゅんぞく)」とは、人情に厚い善き風俗の意味です。
今回は原文に沿って意訳しましたが、より平易には、”人の上に立つ者を選ぶ時は、才能よりも人徳のある人、且つ、いつでも誰にでも同じ姿勢を貫く人を選びなさい。人徳がない人を選ぶと、皆の心がバラバラになって、取り返しがつかなくなる。”ということですね。
現在の某大国を見ると、この意味がよくわかります。人徳が無く、権力欲と自己顕示欲に固まった人物が大統領に就いて3年、国民は分断し、支持する者と支持しない者が相互に非難をしあい、一致団結する風土が失われました。更には世界に対する影響力があるが故に、世界が積み上げてきた様々な協力体制も崩してしまいました。前の大統領が8年をかけて積み上げてきた国内の融和と世界からの信頼が、たったの3年で崩れたのです。今年の大統領選では、誤った選択を再びすることが無いように願うばかりです。
孔子が、「民、信なくんば立たず(人民の信頼が無ければ、国は立ちいかない)。」と語ったように、商売も政治も、人間世界の物事は全て「信頼」が基礎なのです。そしてそれを築くのは、「人の誠=真心」をベースとした「人徳」なのだと思います。
【筆者意訳】人民を善く治める職には、人道を守って常に変わらぬ心を持っている人を選ばなければならない。もしも才能があっても人徳が備わっていなければ、人情に厚い善き風俗を壊すだろう。そうなっては後任に善い人物が就いても、元に戻すことは難しい。
【ひとこと】「親民」とは、人民に親しむということ、ここでは人民を善く治めると訳しました。「醇俗(じゅんぞく)」とは、人情に厚い善き風俗の意味です。
今回は原文に沿って意訳しましたが、より平易には、”人の上に立つ者を選ぶ時は、才能よりも人徳のある人、且つ、いつでも誰にでも同じ姿勢を貫く人を選びなさい。人徳がない人を選ぶと、皆の心がバラバラになって、取り返しがつかなくなる。”ということですね。
現在の某大国を見ると、この意味がよくわかります。人徳が無く、権力欲と自己顕示欲に固まった人物が大統領に就いて3年、国民は分断し、支持する者と支持しない者が相互に非難をしあい、一致団結する風土が失われました。更には世界に対する影響力があるが故に、世界が積み上げてきた様々な協力体制も崩してしまいました。前の大統領が8年をかけて積み上げてきた国内の融和と世界からの信頼が、たったの3年で崩れたのです。今年の大統領選では、誤った選択を再びすることが無いように願うばかりです。
孔子が、「民、信なくんば立たず(人民の信頼が無ければ、国は立ちいかない)。」と語ったように、商売も政治も、人間世界の物事は全て「信頼」が基礎なのです。そしてそれを築くのは、「人の誠=真心」をベースとした「人徳」なのだと思います。
2020年02月22日
言志耋録266条 人生は近道をするな
遠方に歩を試みる者、往々正路を捨てて捷径(しょうけい)に赴き、或いは繆(あやま)りて林莽(りんもう)に入る。嗤うべきなり。人事多く此れに類す。特に之れを記す。
【筆者意訳】歩いて遠くまで行こうとする時は、往々にして本道を通らないで近道を選び、路に迷って林や草むらに入ってしまうことがある。馬鹿な話だ。しかし人生を歩む中でも、これに類することが多いので、特に記しておく。
【ひとこと】「正路」とは、正しい道・正規のルートのこと、ここでは本道としました。「捷径(しょうけい)」とは近道・細道のこと、「林莽(りんもう)」とは、草木の深く茂っているところのことです。
先を急ぐために慣れない近道を進んで、路に迷い難儀して、結局本道を行った方が早かった・・・などという経験は多くの人が一度はしていると思います。そういう愚かな行いを例にとって、人生の生き方を教えているものです。
中国の古典『中庸』に、「君子は易に居りて以て命を俟ち、小人は険を行いて以て幸を徼(もと)む。」という一節があります。意味は、”立派な人物は、道理に叶った生き方をし、結果は天命に委ねる。凡人は、道理に叶わない危険な行いをして、思いがけない幸運を求める。”となりますが、”道理に叶った生き方をする”とは、正規のルートを進むことであり、”
道理に叶わない危険な行いをする”とは、慣れない近道を進むことです。
学問もスポーツも芸術も、また仕事も、ひとかどのものになるためには、修得すべき事柄の道筋があります。それは長い道になりますので、時としてそれをショートカットしたい欲望が芽生えるものです。しかしそれではひとかどにはなれません。近道は一時は得したように見えますが、結局は遠回りになるものです。正規の道筋がある以上、近道をしない。それが人生の鉄則なのだと思います。
【筆者意訳】歩いて遠くまで行こうとする時は、往々にして本道を通らないで近道を選び、路に迷って林や草むらに入ってしまうことがある。馬鹿な話だ。しかし人生を歩む中でも、これに類することが多いので、特に記しておく。
【ひとこと】「正路」とは、正しい道・正規のルートのこと、ここでは本道としました。「捷径(しょうけい)」とは近道・細道のこと、「林莽(りんもう)」とは、草木の深く茂っているところのことです。
先を急ぐために慣れない近道を進んで、路に迷い難儀して、結局本道を行った方が早かった・・・などという経験は多くの人が一度はしていると思います。そういう愚かな行いを例にとって、人生の生き方を教えているものです。
中国の古典『中庸』に、「君子は易に居りて以て命を俟ち、小人は険を行いて以て幸を徼(もと)む。」という一節があります。意味は、”立派な人物は、道理に叶った生き方をし、結果は天命に委ねる。凡人は、道理に叶わない危険な行いをして、思いがけない幸運を求める。”となりますが、”道理に叶った生き方をする”とは、正規のルートを進むことであり、”
道理に叶わない危険な行いをする”とは、慣れない近道を進むことです。
学問もスポーツも芸術も、また仕事も、ひとかどのものになるためには、修得すべき事柄の道筋があります。それは長い道になりますので、時としてそれをショートカットしたい欲望が芽生えるものです。しかしそれではひとかどにはなれません。近道は一時は得したように見えますが、結局は遠回りになるものです。正規の道筋がある以上、近道をしない。それが人生の鉄則なのだと思います。
2020年02月21日
言志耋録261条 リーダーの力量
群小人を役して以て大業を興す者は、英主なり。衆君子を捨てて而して一身を亡ぼす者は、闇君なり。
【筆者意訳】普通の人々を使って大きな事を成し遂げる者が、優れたリーダーだ。優秀な人材を使えこなさないで我が身を亡ぼす者は、愚かなリーダーだ。
【ひとこと】「営主」とは英邁な君主のこと、ここでは現代風に、優れたリーダーと訳しました。「闇君」とは、暗愚な君主のこと、ここでは、愚かなリーダーと訳しました。
自らを月見草と比喩された野村克也元監督が亡くなられました。その選手時代の活躍はもちろんですが、彼の真骨頂は監督業で発揮されたと私は思います。ライバルの長島選手が、生え抜き且つ名門の巨人軍の監督に就任したのに対し、ご自身は野球解説者として働いた後、弱小球団のヤクルト、阪神、楽天と渡り歩きました。しかしその中で、ヤクルトをリーグ優勝・日本一に導き、阪神、楽天では優勝こそできなかったもののチーム力を大きく引き上げられました。多くの一流選手を育て、また「野村再生工場」とも呼ばれたように、一度は見捨てられた選手を引き受け再起させた手腕でも評価されています。
このような人が、一斎の言う優れたリーダーなのだと、私は思います。
沖縄教育出版社社長の川畑保夫氏は、”経営とは、ごく普通の人達が、共通の目標を持ち、チームワークよく働いて、非凡な結果を出すことだ。”と言われました。優れたリーダーは、普通の人間集団に対して、共感できる目標を提示して、力を合わせて働こうとする意欲を引き出し、働く環境を整え、それらを持続させることによって非凡な結果に結びつけるのです。
最近はIT企業を中心に、優秀な人材を囲い込むために特別な処遇をしようとする動きが盛んですが、折角採用した優秀な人材も、使いこなせなければ宝の持ち腐れです。人を活かして使う、それは一途に経営者というリーダーの力量に係っているのだと思います。
【筆者意訳】普通の人々を使って大きな事を成し遂げる者が、優れたリーダーだ。優秀な人材を使えこなさないで我が身を亡ぼす者は、愚かなリーダーだ。
【ひとこと】「営主」とは英邁な君主のこと、ここでは現代風に、優れたリーダーと訳しました。「闇君」とは、暗愚な君主のこと、ここでは、愚かなリーダーと訳しました。
自らを月見草と比喩された野村克也元監督が亡くなられました。その選手時代の活躍はもちろんですが、彼の真骨頂は監督業で発揮されたと私は思います。ライバルの長島選手が、生え抜き且つ名門の巨人軍の監督に就任したのに対し、ご自身は野球解説者として働いた後、弱小球団のヤクルト、阪神、楽天と渡り歩きました。しかしその中で、ヤクルトをリーグ優勝・日本一に導き、阪神、楽天では優勝こそできなかったもののチーム力を大きく引き上げられました。多くの一流選手を育て、また「野村再生工場」とも呼ばれたように、一度は見捨てられた選手を引き受け再起させた手腕でも評価されています。
このような人が、一斎の言う優れたリーダーなのだと、私は思います。
沖縄教育出版社社長の川畑保夫氏は、”経営とは、ごく普通の人達が、共通の目標を持ち、チームワークよく働いて、非凡な結果を出すことだ。”と言われました。優れたリーダーは、普通の人間集団に対して、共感できる目標を提示して、力を合わせて働こうとする意欲を引き出し、働く環境を整え、それらを持続させることによって非凡な結果に結びつけるのです。
最近はIT企業を中心に、優秀な人材を囲い込むために特別な処遇をしようとする動きが盛んですが、折角採用した優秀な人材も、使いこなせなければ宝の持ち腐れです。人を活かして使う、それは一途に経営者というリーダーの力量に係っているのだと思います。
2020年02月20日
言志耋録260条 為政者の心得
人事には、外変ぜずして内変ずる者之れ有り。名変ぜずして実変ずる者之れ有り。政に従う者は、宜しく名に因りて以てその実を責め、外に就きて以て諸れを内に求むべし。可なり。
【筆者意訳】人間社会の物事は、外見は変わらないが内面が変化しているものがある。また名目は変わらないが実質は変化しているものもある。政務を行う者は、名目を頼りにしつつその実質を把握し、外面だけでなく内面がどうなっているかをつかまなければならない。
【ひとこと】外面と内面、名目と実質との違いをしっかりとつかんで、正しい判断をしなければならないという教えですね。特に政治家について一斎が言及しているのは、それだけ政治上の判断は難しく、誤るとその影響が大きいからなのでしょう。
亡くなられた元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏は、在任時は、難民避難所にとにかく足を運んだそうです。彼女は”現場に行かなければ実情は分からない。現場に行ってこそわかることがある。”と語っておられました。国連といえば、世界を俯瞰して判断する組織、つまり世界の頭ですから、事務所に居て、入ってくる情報を元に判断することも可能であったでしょうが、自ら現場に立って感じる肌感覚を大切にしたのだと思います。ですから各国から評価される成果も残されたのではないでしょうか。
翻って国内政治。例えば福島原発の汚染水処理は、何らの決定がなされないまま貯水タンクが増え続け、増設余地も限界に近づいています。現地の漁業関係者は、風評被害の再来を恐れて海中放出に反対しています。しかし科学的にはトリチウム(三重水素)は海水の中にも存在するものであり、現実的に既存の原発も海水放出しているものです。おそらく唯一現実的方法と思われる海中放出を拒んでいるのは、国及び東京電力に対する現地の漁業関係者の不信感なのでしょう。それを解消する鍵は、両者のトップが現地に足を運び、膝詰めで話しあうことだと思うのですが、それをやっている節は伺えません。いまだに後を引いている諫早湾の水門問題、沖縄の辺野古基地移設問題も然りです。
政治が立てた方針(=名目)は、それが大所高所から判断されたものであるほど、現場の実情からかけ離れたものになります。それを調整して合意点を見つけていくのが政治の宿命である以上、現場の実態を把握することは、最も心掛ければならないことだと言えるでしょう。
【筆者意訳】人間社会の物事は、外見は変わらないが内面が変化しているものがある。また名目は変わらないが実質は変化しているものもある。政務を行う者は、名目を頼りにしつつその実質を把握し、外面だけでなく内面がどうなっているかをつかまなければならない。
【ひとこと】外面と内面、名目と実質との違いをしっかりとつかんで、正しい判断をしなければならないという教えですね。特に政治家について一斎が言及しているのは、それだけ政治上の判断は難しく、誤るとその影響が大きいからなのでしょう。
亡くなられた元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏は、在任時は、難民避難所にとにかく足を運んだそうです。彼女は”現場に行かなければ実情は分からない。現場に行ってこそわかることがある。”と語っておられました。国連といえば、世界を俯瞰して判断する組織、つまり世界の頭ですから、事務所に居て、入ってくる情報を元に判断することも可能であったでしょうが、自ら現場に立って感じる肌感覚を大切にしたのだと思います。ですから各国から評価される成果も残されたのではないでしょうか。
翻って国内政治。例えば福島原発の汚染水処理は、何らの決定がなされないまま貯水タンクが増え続け、増設余地も限界に近づいています。現地の漁業関係者は、風評被害の再来を恐れて海中放出に反対しています。しかし科学的にはトリチウム(三重水素)は海水の中にも存在するものであり、現実的に既存の原発も海水放出しているものです。おそらく唯一現実的方法と思われる海中放出を拒んでいるのは、国及び東京電力に対する現地の漁業関係者の不信感なのでしょう。それを解消する鍵は、両者のトップが現地に足を運び、膝詰めで話しあうことだと思うのですが、それをやっている節は伺えません。いまだに後を引いている諫早湾の水門問題、沖縄の辺野古基地移設問題も然りです。
政治が立てた方針(=名目)は、それが大所高所から判断されたものであるほど、現場の実情からかけ離れたものになります。それを調整して合意点を見つけていくのが政治の宿命である以上、現場の実態を把握することは、最も心掛ければならないことだと言えるでしょう。