2020年02月16日
言志耋録239条 本物は、「らしく」ない
真勇は怯(きょ)の如く、真智は愚の如く、真才は鈍の如く、真巧は拙の如し。
【筆者意訳】真の勇者は一見すると臆病者のようであり、真の智慧者は一見すると愚者のようであり、真に才能ある者は一見すると鈍物のようであり、真の功者は一見すると下手くそのようである。
【ひとこと】『老子・道徳教』に、「大直(たいちょく)は屈するが若く、大功(たいこう)は拙(せつ)なるが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。」という一節があります。”本当に真直ぐなものは曲がってるように見え、本当に巧みなものはつたなく見え、本当の雄弁は口下手のように聞こえる。”と訳されますが、本条文もそれに倣い、勇者⇔臆病者と反対語を対比させて表現をした文章です。一見、戸惑うところがありますが、順に見ていきましょう。
本当に勇気のある者は、勇ましさを外に表さずに慎み深くしているものです。それは一寸見では臆病なように見えます。本当に智慧の有る者は、軽挙妄動しないで深く考えるものです。その様子は一寸見では愚か者のように見えます。本当に才能の有る者は、その才能をいたずらにひけらかさないので、あたかも才能が無いように見えます。本当に技術を持っている巧者は、ことを簡単に処理してしまうのでその上手さが素人には分かりません。それがあたかも下手くそのように見えるということですね。
最後の巧者を例にすると、野球の外野手で本当に上手い選手は、ピッチャーの配球やバッターの特性、試合の流れなどを読んで、打球が飛んできそうな場所に守備位置を取るそうです。それが的中する確率が高いので、走らなくても簡単に捕球してしまいます。全力疾走してランニングキャッチするようなファインプレーはあまり見せないので、その真価が素人目ではわからないけれども、プロが見れば技術に秀でていることは一目瞭然だと言われます。
勇者、智者、才者も同様な事例は思い当たることがあるのではないでしょうか。
本物は自然体で処すものです。派手なパフォーマンスで自己主張している内は、まだまだ半人前と言うことでしょうね。
【筆者意訳】真の勇者は一見すると臆病者のようであり、真の智慧者は一見すると愚者のようであり、真に才能ある者は一見すると鈍物のようであり、真の功者は一見すると下手くそのようである。
【ひとこと】『老子・道徳教』に、「大直(たいちょく)は屈するが若く、大功(たいこう)は拙(せつ)なるが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。」という一節があります。”本当に真直ぐなものは曲がってるように見え、本当に巧みなものはつたなく見え、本当の雄弁は口下手のように聞こえる。”と訳されますが、本条文もそれに倣い、勇者⇔臆病者と反対語を対比させて表現をした文章です。一見、戸惑うところがありますが、順に見ていきましょう。
本当に勇気のある者は、勇ましさを外に表さずに慎み深くしているものです。それは一寸見では臆病なように見えます。本当に智慧の有る者は、軽挙妄動しないで深く考えるものです。その様子は一寸見では愚か者のように見えます。本当に才能の有る者は、その才能をいたずらにひけらかさないので、あたかも才能が無いように見えます。本当に技術を持っている巧者は、ことを簡単に処理してしまうのでその上手さが素人には分かりません。それがあたかも下手くそのように見えるということですね。
最後の巧者を例にすると、野球の外野手で本当に上手い選手は、ピッチャーの配球やバッターの特性、試合の流れなどを読んで、打球が飛んできそうな場所に守備位置を取るそうです。それが的中する確率が高いので、走らなくても簡単に捕球してしまいます。全力疾走してランニングキャッチするようなファインプレーはあまり見せないので、その真価が素人目ではわからないけれども、プロが見れば技術に秀でていることは一目瞭然だと言われます。
勇者、智者、才者も同様な事例は思い当たることがあるのではないでしょうか。
本物は自然体で処すものです。派手なパフォーマンスで自己主張している内は、まだまだ半人前と言うことでしょうね。