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2020年02月08日

言志耋録204条 人の評価は・・・

古人の是非は、之れを品評するも可なり。今人の好歹(こうたい)は、之れを妄議するは不可なり。恨みを取るは、多く妄議に在り。警むべし。

【筆者意訳】昔の人の善悪の評価はしても良い。しかし現存の人の善悪をみだりに論評するのは良くない。人から恨まれる原因は、人をみだりに論評することから起こる。戒めなくてはならない。

【ひとこと】「品評」とは品定め・評価をすること、「好歹(こうたい)」とは善と悪のこと、「妄議」とはみだりに論議すること、ここではみだりに論評すると訳しました。

人の中には、他人のことを論評するのが好きな人がいますね。それを聞くのが好きな人もいて、ちょっとした人だまりが出来たりする。しかし言う方も聞く方も真剣ではないので、中身の薄い話で終わる・・こんなところでしょうか。
しかし、論評される側に立った人間としては、心穏やかではいられないですよね。自分の居ない所で自分が品定めされるのは気持ちがいいものではありません。ましてや悪く評価されたとなれば尚更でしょう。
その話が、後に人づてに本人に伝わると、”あいつ、俺のいない所であんなことを言いやがって~”となり、疑念を持たれることになってしまいます。兎に角、人の悪口を陰で言うのは止めた方がいいですね。

よく、人を誉める時は皆のいる前で、叱る時は対面でするのが良いと言われます。前者は本人の自尊心を満足させる、後者は自尊心を傷つけない配慮が背景にあるのですが、場合によってはこの逆をすることが効果的な場合もあります。つまり、本人を皆のいる前で叱る、本人がいない所で誉めるということです。前者は、例えば本当に自分が信頼している部下を皆のいる前で叱ることでチームを引き締めることを狙って、後者は、例えば自信を失っている部下を陰で誉めて、それが人づてに本人に伝わり、発奮することを期待して行います。どっちもその後のフォローが大切ですが。

人の善性は、良く評価されれば嬉しくなり、より頑張ろうとし、悪く評価されれば、それを直そうとするものだと思います。評価が本人に正しく伝われば、人は善性を発揮するものですが、間違った伝わり方をすると、疑念や反感を呼び起こすことになってしまうのです。
かように人の評価の仕方、誉め方、叱り方は本当に難しいものですが、「自分がされて嫌なことはしない」という原則は守った方がいいように思います。


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