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2020年01月27日

言志耋録182条 市井に人物有り

有りて無き者は人なり。無くして有る者もまた人なり。

【筆者意訳】世の中に人は沢山いるが、立派な人物は中々いない。しかし、居ないようで居るのも立派な人物で、どこかに必ず居るものだ。

【ひとこと】『論語・顔淵篇』に、孔子が弟子の子張に対して、「達人」と「聞人」との違いを説明した章句があります。原文は長いので要点だけ解説しますと、「達人」とは、優れた観察力・洞察力を持って事に当たり、真心があり正義を大切にし、人に対しては誠実と謙譲の精神を持って接することが出来る人のことです。一方で「聞人」とは、上辺は人格者のように要領よく振舞い、見栄えはいいけれども行動は伴わない人物のこと、所謂見かけ大事の人のことです。

私たちの周りでも、「聞人」に該当する人物は沢山います。有名な芸能人で売れっ子になっているけれども、裏で麻薬を常習したり、不倫をしたり。大臣に抜擢されるような政治家が、裏で怪しいお金に手を染めたり配ったり・・・。このような人は、一時は注目を浴びることがあっても、長い人生の中では、いずれ忘れ去られていくでしょう。

反対に、名前も知られず、地位も無いけれども立派な生き方をしている人もいます。ふとしたきっかけから有名人になってしまいましたが、ボランティア活動をずっと続けておられる尾畑さん。災害現場で我が身の危険も顧みず人身救助に務めるレスキュー隊の皆さんなど。これ以外にも私たちの身の回りを注意して観れば、人の嫌がる事をいつも率先してやってくれるご近所さんなど、世の為人の為に汗を流すことを厭わない人が居るはずです。私はこういう人のことを「達人」というのだと思います。

歴史上の偉人や有名人の人生論から学ぶことも大切ですが、身の回りで立派な生き方をしている人を見つけ、その人から学ぶことも生きた学問として大切なことです。「人に学び、人と成らん」。心掛けたいものです。


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