2020年01月26日
言志耋録180条 話の聴き方
人の一話一言は、徒(いたずら)に聞くこと勿れ。必ず交歹(こうたい)有り。弁ず可し。
【筆者意訳】人の、ちょっとした話、ちょっとした言葉も、いい加減に聞いてはならない。その中には必ず善いことと悪いことがあるから、よく弁別すべきである。
【ひとこと】「交歹(こうたい)」とは善と悪の意味です。人の言葉の中にある真意を見抜けということでしょうか。
《言志耋録174条/人を観る方法》のコラムで、人の心中を察するには、発する言葉を聴いて、瞳の動きを見るのが良いという話を紹介しましたが、人の話は、顔をどこかに向けていたのでは、耳を素通りして頭に入ってこないもの。話をしっかり聴こうとしたら、ちゃんと相手の眼を見て話を聞くことが大事です。結局人間は、眼の向きどころが注意の向きどころなのだと思います。
また、人の話には、長い短いに関わらず深い意味を持っていることがあるものです。またそれは話し手が意図しているか否かに関わらず、聴く側の心に共鳴する時もあります。要は聞く側のアンテナの高さが相手の話を意味のあるものにも、意味のないものにもするということです。
話は、興味を持って聴く、問題意識を持って聴くということが大切なのですね。心掛けたいものです。
【筆者意訳】人の、ちょっとした話、ちょっとした言葉も、いい加減に聞いてはならない。その中には必ず善いことと悪いことがあるから、よく弁別すべきである。
【ひとこと】「交歹(こうたい)」とは善と悪の意味です。人の言葉の中にある真意を見抜けということでしょうか。
《言志耋録174条/人を観る方法》のコラムで、人の心中を察するには、発する言葉を聴いて、瞳の動きを見るのが良いという話を紹介しましたが、人の話は、顔をどこかに向けていたのでは、耳を素通りして頭に入ってこないもの。話をしっかり聴こうとしたら、ちゃんと相手の眼を見て話を聞くことが大事です。結局人間は、眼の向きどころが注意の向きどころなのだと思います。
また、人の話には、長い短いに関わらず深い意味を持っていることがあるものです。またそれは話し手が意図しているか否かに関わらず、聴く側の心に共鳴する時もあります。要は聞く側のアンテナの高さが相手の話を意味のあるものにも、意味のないものにもするということです。
話は、興味を持って聴く、問題意識を持って聴くということが大切なのですね。心掛けたいものです。