2020年02月05日
言志耋録197条 徳性・才能と言葉
徳有る者寡言なり。寡言の者未だ必ずしも徳有らず。才有る者多言なり。多言の者未だ必ずしも才有らず。
【筆者意訳】有徳者は寡黙である。しかし寡黙な人が有徳者とは限らない。才能がある人は弁が立つものだ。しかし弁の立つ者が才能がある人とは限らない。
【ひとこと】『論語・憲問篇』に、「徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁ならず。」という章句があります。言葉と徳性、仁者と勇者を対比させた文章ですが、本条文は、これと同じ論法で言葉と徳性、言葉と才能を対比させた条文です。
「徳性」と「才能」については、伊與田覺氏が素晴らしい解説をしてくれています。
人間が生まれながらにして与えられて要素には、「徳性」・「知能」・「技能」があり、何れも大切なものであるけれども、人間の本末としては「徳性」が本で「知能」・「技能」は末である。だから人間を立派に育て上げるには、まず本である「徳性」をしっかり養い、それに合わせて「知能」・「技能」を育てることが必要だというのです。
本と末の順番を間違えるのを、「本末転倒」と言いますが、現代の教育はまさにこの状態にあると言えるでしょう。
「知能」・「技能」をまとめて「才能」と言います。一斎は人間にとって大切な二つの要素である「徳性」・「才能」と言葉を対比させて語っているのです。蛇足ながら「徳性」も「才能」も優れ、なお且つ「徳性」>「才能」の人のことを君子、「徳性」<「才能」の人のことを人材というのだそうです。
【筆者意訳】有徳者は寡黙である。しかし寡黙な人が有徳者とは限らない。才能がある人は弁が立つものだ。しかし弁の立つ者が才能がある人とは限らない。
【ひとこと】『論語・憲問篇』に、「徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁ならず。」という章句があります。言葉と徳性、仁者と勇者を対比させた文章ですが、本条文は、これと同じ論法で言葉と徳性、言葉と才能を対比させた条文です。
「徳性」と「才能」については、伊與田覺氏が素晴らしい解説をしてくれています。
人間が生まれながらにして与えられて要素には、「徳性」・「知能」・「技能」があり、何れも大切なものであるけれども、人間の本末としては「徳性」が本で「知能」・「技能」は末である。だから人間を立派に育て上げるには、まず本である「徳性」をしっかり養い、それに合わせて「知能」・「技能」を育てることが必要だというのです。
本と末の順番を間違えるのを、「本末転倒」と言いますが、現代の教育はまさにこの状態にあると言えるでしょう。
「知能」・「技能」をまとめて「才能」と言います。一斎は人間にとって大切な二つの要素である「徳性」・「才能」と言葉を対比させて語っているのです。蛇足ながら「徳性」も「才能」も優れ、なお且つ「徳性」>「才能」の人のことを君子、「徳性」<「才能」の人のことを人材というのだそうです。