2020年02月03日

言志耋録193条 人物の観察法

多言の人は浮躁にして、或いは人を枉(ま)ぐ。寡黙の人は測り難く、或いは人を探る。故に「その言を察して、その色を観る」とは、交際の要なり。

【筆者意訳】口数の多い人は浮かれて騒がしく、時には人を傷つける。口数の少ない人は心中を察し難く、時には人の心中を探ろうとしている。だから孔子の言う「人の言葉を洞察し、顔色を注意深く観察する」とは、まさに交際上の要諦である。

【ひとこと】「浮躁」とは浮かれ騒ぐこと、「枉(ま)ぐ」とは虐げたり陥れること、ここでは傷つけると訳しました。
『論語・顔淵篇』に、「夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。」という一節があります。”本物の達人(立派な人物)というのは、実直で道義を重んじ、人の言葉を注意深く聞いて表情をよく読み、遠慮してへりくだった態度でいるものだ。”という訳になりますが、一斎はこの前半部の、人を正しく評価する見方の部分を取り出して教訓としているものです。

確かに口数の多い人はうるさく感じられ、口数が少ない人は何を考えているのかわからないと感じられます。そのような相手に対しては、話の内容と表情を注意深く観察して、真意を洞察することが必要ですね。孔子の人間通が伺われる言葉です。

尚、孔子の言う達人になるためには、
①真正直であること
②道義を大切にすること
③洞察力に優れること
④謙譲の精神を持つこと
です。こちらも大切にしたい教えですね。


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