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2020年02月01日

言志耋録191条 「多弁」より「多聞」

人の言を聴くことは、則ち多きを厭わず。賢不肖と無く、皆資益有り。自ら言うことは、則ち多きこと勿れ。多ければ則ち口過有り。又或いは人を誤る。

【筆者意訳】人の話を聞くことは、どんなに多くても厭わない。話し手が賢いか否かに関わらず、自分のためになる。しかし自分が話すときは多すぎてはいけない。とかく口数が多いと失言したり、人に迷惑をかけることになる。

【ひとこと】「賢不肖」とは賢人と愚人のこと、ここでは賢いか否かに関わらずと訳しました。「資益」とは役に立つこと、ためになることです。「口過」とは口が過ぎること、失言のことです。「人を誤る」は人を誤らせること、ここでは人に迷惑をかけると訳しました。

「多弁」の人ではなく、「多聞」の人になれという教えですね。
自分がいくら雄弁で沢山話したとしても、それで自分の見聞が広がったり、成長したりすることはありません。上手くいって精々”自分の言いたいことを全部言った”という満足感を得るぐらいの所でしょう。そうでなければ、言わなくても良いことを言って失言となるか、相手をうんざりした気持ちにさせて迷惑をかけるだけです。ですから自分から話すときは、必要なことを抑え気味に話すことが大事なのです。

自分の見識を広め、成長したいと願ったら、人の話を聞くことです。興味を持って聴けば、相手はどんどん話してくれます。その中で、自分のためになると思ったことを記憶していけばいいのです。
孔子も『論語・述而篇』で言っています。「多くを聞きて、その善きものを択びて是に従う」と。


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