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2020年01月21日

言志耋録174条 人を観る方法

人を観るには、徒に外その容止に拘わること勿れ。須らく之れをして言語せしめ、就きてその心術を相すべくば可なり。先ずその眸子(ぼうし)を観、またその言語を聴かば、大抵廋(かく)す能わじ。

【筆者意訳】人物を観察する場合には、徒にその外見上の立ち居振る舞いに捉われてはいけない。必ずその人に色々と話をさせて、その時の心の動きを観るのが良い。その人の瞳の動きを観察し、言葉を聴けば、だれでも大抵は心中を隠すことはできないものだ。

【ひとこと】「容止」とは容貌動止の略、外見や立ち居振る舞いのことです。「心術」とは気立・心持ちのこと、ここでは心の動きと訳しました。「眸子(ぼうし)」とは瞳のことです。

諺に、「目は口ほどに物を言う」とあるように、視線や瞳の動きを見れば、その人が本心で言っているか、やましい心を持っていないか、気持ちが明るいのか暗いのかなどがわかるものです。また言葉使いにはその人の感情…怒りや侮蔑などの悪い感情、喜びや哀しみの気持ちなどが現れるものです。ですから瞳の動きと話し方を照合して観察すれば、相手の心中は推察できるということですね。

『孟子』に、「人を察るには眸子より良きはなし。眸子はその悪を奄(おお)う能ず。胸中正しければ則ち眸子瞭(あきらか)なり。胸中正しからざれば則ち眸子眊(くら)し。その言を聴きてその眸子を観れば、人焉んぞ廋(かく)さんや。」という言葉があります。
”人物を見分けるには瞳を見るのが良い。瞳は悪い心を隠すことが出来ないからだ。心が正しければ瞳は明るく澄んでいるが、心が正しくなければ瞳は暗く曇っているものだ。だから相手の言葉をよく聴きながら、その瞳をよく観察すれば、大抵は心中を察することはできるのだ。”という意味になります。一斎の本条文は、『孟子』のこの言葉が頭にあって発せられたものと推察します。


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